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うつ病患者が避けるべき情報|ウェルテル効果の条件

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目的地への行き方がわからないとき、大勢の人が進んでいる方向が正しいと思い、ついていった経験は ないでしょうか。

自信が無いことを実行する際、多くの人が取っている行動なら正しいと判断し、模倣するのは珍しくありません。
逆に言えば、自信が無い状態では他者の行動に影響を受けやすいので、好ましくない情報の取得は避けるべき。
自分を卑下しやすい状態なら、なおさら。

そんなことを書いたページになります。

サクラ行為

他人の影響を受ける身近な例としては、サクラ行為があります。
いわゆるヤラセ要員を導入することで、売り上げアップや何らかの効果を増すものですが、その語源には諸説あるようです。
よく聞くのは、歌舞伎をタダで見せてもらう代わりに、見せ場で掛け声をかけて場を盛り上げる様子が、パッと咲いてパッと散る桜のようだからというもの。

こういった盛り上げ役は、日本に限った話ではありません。
パリのオペラハウスでは、拍手喝采が盛り上げサービスとして行われていましたし、ロンドンの『ミュージカル・タイムズ』にはサクラの料金が書かれた広告が出ていました。
その広告のメニューで一番高いのはアンコールで50リラ、安いのは「いいぞ!」「最高!」という掛け声で5リラだったとか。

こういった舞台効果としてのサクラ行為に近いものとしては、バラエティ番組の笑いどころで入れられる“笑い声”があるでしょう。
誰かが笑っているから、それは笑えるものだと認識させられる。人は他者の行動に影響されるので、取り入れられている事例と言えます。効果が無いなら、わざわざ入れないでしょうから。

ネットで言うなら、ヤラセの口コミでしょうか。
飲食店の口コミサイトにおけるヤラセが問題になったり、口コミ業者の存在が明らかになって炎上したりしています。
これも、効果が見込めるから行われたこと。時代や媒体は変わっても、人は他者の影響を受けやすいのは変わらないようです。

メモ

刑法には『人を欺いて財物を交付させた者は、十年以下の懲役に処する』とあります。この「欺き」に相当すると判断されれば、詐欺罪で罰せられる可能性もあるようです。

類似性の法則

人が他者の行動を真似るか決めるとき、重要視している要素があります。
それが類似性です。

とある大学で募金を呼びかける際、2つのパターンが用意されました。
1つは、自分も同じ大学に通っていると主張するケース。
もう1つは、主張しないケース。
結果は、主張した場合の方が、2倍以上の寄付があったそうです。
まぁ、身近な人と知れば、断りづらくもなるでしょうが……。

このような「類似性の法則」を示す研究結果は他にもあります。
ありますが、そういったデータで裏付けなくても、今までの経験から有効性は想像できるでしょう。

よく、セールスマンは「自分も、〇〇の出身なんですよ」と言ったり、「自分も、XXが好きなんですよ」と言ったりします。
それを受けて、「その人と〇〇話で意気投合しちゃってさ。つい買っちゃって……」といった展開はありがち。
まさに、類似性の法則を取り入れたセールストークの見本みたいな流れです。

この類似性の法則が、最悪の形で働くケースがあります。それが自殺報道による連鎖。

ウェルテル効果

ゲーテが『若きウェルテルの悩み』を出版した後、主人公のウェルテルを真似た自殺が相次ぎました。その被害の大きさから、発禁処分にした国もあります。
マスメディアの自殺報道に影響され、自殺が増える事象をウェルテル効果と言うのは、この『若きウェルテルの悩み』に由来します。

ウェルテル効果の根拠とされたのは、アメリカにおける1947年から1967年までの自殺統計です。新聞の一面に自殺の記事が出た後の2ヵ月間は、自殺者数が普段より平均で58人増えたとあります。なお、報道されなかった地域では、変化が見られませんでした。
また、自殺した人物の年齢と、報道後に同じ状況で亡くなった人を比較したところ、同年代だったという検証結果も出ています。つまり、ニュースが高齢者の自殺を取り上げれば、同じ方法で高齢者が自殺を図るということ。
検証方法に対する問題点も指摘されていますが、「自殺を予防する自殺事例報道のあり方」というWHO(世界保健機関)の勧告があるくらいですから、自殺報道には充分な配慮が必要なのは確かなこと。

ウェルテル効果を検証する人の中には、有名人の自殺とファンの後追いの有無だけをみて、効果を否定している人もいますが、類似性というポイントを外してはいけません。
それに、この自殺データをウェルテル効果に繋げたフィリップスは、他のデータからも類似性を指摘しています。
それは、大きなネットワークのニュースで、ボクシングのヘビー級タイトルマッチが取り上げられると、アメリカにおける殺人発生率がかなり上昇するというもの。
試合で負けたのが黒人選手なら、若い黒人男性が殺される事件が急増。白人男性が負ければ、犠牲者は白人男性になったそうです。

この手の話の極めつけは、模倣犯罪でしょう。
FBIの法医学専門家によれば、国中で広く報道される事件が一つ起こるたび、平均で30件は同種の事件が起こるようです。

地方の学校で銃乱射事件が起これば、別の地方の学校で同様の事件が起こる。
類似した社会条件の場所で、同種の事件が続くのは、人は真似をする生き物であり、より自分に近い存在の影響を受けやすい表れかもしれません。

うつ病患者が避けるべき情報

これまでの流れから、うつ病患者が避けるべき情報が何かは、想像できることでしょう。
平たく言ってしまえば、自分に近い存在が取った好ましくない行動。そんな情報は避けた方がいいということになります。

うつ病を患うと自分を卑下したり、必要以上に自分を責めたりと、自分に対してネガティブになる傾向が見られます。
そういう心理状態では、他者の影響を受けやすくなる。無意識レベルでよくない影響を受ける可能性がある。だから、特に避けた方がいいのではないかと思って書いています。

逆に言えば、幸せになりたいなら、幸せな人の情報を……となりますが、人は誰かを妬むこともあるので、その傾向が強い人には勧められません。
ただ、同じような苦しみを味わっていた人が、それを乗り越えた姿は励みになることもあるでしょう。

犬を怖がっていた子供に、同年代の子供が犬と戯れるビデオを見せたら、怖がらずに遊ぶようになったという実験結果もあるくらいです。類似性の法則を自ら使い、プラスの方向に自分を持っていくことも可能かもしれません。

集合的無知

草食動物の群れに肉食動物が近付くと、草食動物は次々に逃げ出していきます。
その過程を考えるに、最初に肉食動物の接近に気づいて1匹目が走り出し、その走り出した1匹目を見て状況を確認した2匹目も走り出し……といった感じの流れかもしれません。
反応が鈍い残りの草食動物も、仲間の多くが走り出したのを見て、「自分も走った方が良さそうだ」という判断に至る。元を辿れば、類似性の法則や模倣も、こんな危機回避のDNAから来ている気がします。

一方で、こういった判断が不幸を呼ぶケースもあります。
先の例では、1匹目の行動が適切だったから問題ないですが、「離れてるから、まだ大丈夫」という判断だったら、別の結果に繋がっていたことでしょう。
逃げ出さない1匹目を見て、「コイツが逃げないなら、大丈夫」と2匹目が判断し、周囲も「誰も逃げないから大丈夫」と思う。その結果、捕食されるわけです。

これと同じように、多くの人が選んだ行動が、必ずしも正しいとは限りません。
場合によっては、場の空気を読んではいけないこともあります。
自分に対して自信が無いとき、判断に確信が持てないとき、人は他者の行動を基準に判断します。冒頭で書いた知らない場所に行く際の思考パターンのように……。
でも、その基準にした他者も、同じ状態だったらどうでしょう。
結果として、全員が間違った行動を基準にする状態に陥ります。それが「集合的無知」と呼ばれるもの。

1964年に起きたジェノヴィーズ事件では、犯人は35分の間に3回も被害者を刺しています。ニューヨークの路上で襲われた被害者は助けを求めましたが、38人の隣人たちはアパートの窓際で見ているだけでした。
この事件、犯人は2度も襲撃を止めて、引き下がっています。でも、戻ってきて犯行を続けたのは、誰も通報しなかったから……。

この事件は当初、「冷たい社会」という表現で、都市生活の厳しさが指摘されました。
その後、38人も目撃者がいたから「誰かが通報しているだろう」と思い、結局は誰も通報しなかったという話が出てきます。いわゆる「傍観者効果」です。

誰も動かないのは、緊急性がないから。
多くの人が同じ行動を取れば、その責任は分散される。
一人だけ違う行動を取ったら、周りからネガティブな評価を受ける。

そんな心理があるのです。
これを回避するには、「誰か助けて」ではなく、助けを求める相手を限定する必要があります。そうすることで、誰の責任かハッキリしますし、動く必要があるのだと認識できるので。

援助行動に関する研究の中には、てんかんの発作を装って、助けるか否かを調べたものがあります。
居合わせた人が一人の場合、助ける割合は85%。五人だと31%まで下がったようです。
ドアの下から煙が漏れているのを見て、通報するかどうかという実験もありますが、この手の実験では当事者が増えるほどに割合が低くなっています。

メモ

社会心理学の実験結果を幾つか紹介していますが、人種や国によって同じ実験でも結果が異なることもあります。例えば、「社会的手抜き」と呼ばれるものです。綱引きの実験における力の大きさは、欧米だと個人の総和よりも低くなるのに対し、日本では総和よりも増えました。単純に個々人の力を合計した数値には ならないということ。個人主義では他者の力にただ乗りしようとし、集団主義だと個人のときよりも頑張ろうとする。そんな見解も見受けられますが、確か検証段階レベルだったはず。

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