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不安の正体|将来を考えては、いけない理由

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「心配事」で頭の中が埋め尽くされ、「不安」を感じてしまうケースについて、個人的な意見を書いたページです。
症状として続くもの、不安障害と思われる場合は、専門家が監修したサイトなどをご確認ください。

心配や不安が過度になりすぎて、日常生活に影響が出ていたら、それは不安障害かもしれません。

⇒「不安障害|こころの病気について知る|ストレスとこころ|こころもメンテしよう ~若者を支えるメンタルヘルスサイト~|厚生労働省

不安の正体

「〇〇になったら、どうしよう?」

そんな心配事は、誰しもが抱いた経験があるもの。
よくないケースを想定し、備えることで「最悪」を回避する。
そういう意味で、不安を感じるのは必要でしょう。

ですが、「不安だ」と思うばかりで、何も備えなかったり、備えられなかったりする場合、その不安は憂鬱にさせるだけ。

例えば、「明日、雨が降ったらどうしよう?」と天気の心配をしたところで、一個人に天候を変える術はありません。
できるのは、「傘を持つ」といった備えくらい。

自分ができる範囲で備えをしたら、あとは考えても仕方がないこと。
なのに、気になって考え続けてしまう。
考えたところで何も解決しないどころか、気持ちが落ち込んでしまうのに……。

それは、なぜ?

心配性と言ってしまえば それまでですが、想像力が豊かなのでしょう。
あれこれと想像できてしまうから、様々な可能性を探れる。
よく言えば、そんなところ。
悪く言えば、頭の中が暇なのです。

考える余裕があるときに生まれる可能性の恐怖。
それが、不安かもしれません。

不安になる暇

考える余裕すらない場合、余計なことは考えません。
目の前にある課題をこなすことで、頭の中がいっぱい。

逆に言えば、他のことを考えられない状態に自分を持っていけば、それをしている間は 不安から解放される……。

例えば、激しい運動をしているときに、会社の人間関係を心配するのは難しいです。
アップテンポの曲を聴きながら、バラードを歌うのも困難でしょう。

結局、そういう行為が“可能な環境にある”ということかもしれません。
ですから、その対処方法は、“環境を変える”になるわけです。

筆記開示

それでも、ふとした瞬間に嫌な記憶が蘇るように、将来の心配事に思考を乗っ取られる瞬間があるでしょう。

そんなときは、メモします。

今、自分が何を考え、どんな気持ちなのか。
どうして、そう思っているのか。
考えてしまうのは、どうしてか。
その問題に対して、自分ができることは何か……。

書き出すことで、客観的に今の自分を見つめ直せることでしょう。
とはいえ、そのやり方や実行者の性格によっては、客観的に捉えることができず、傷口に塩を塗る結果に終わることもあるのではないか。
そんな気もしますので、向かないと思ったら、すぐに中止した方がいいかもしれません。

気持ちの書き出し方は、「筆記開示」関連の本に書いているでしょうが、下記のような研究結果も見られました。

本研究では,構造化開示群では筆記によってネガティブ情動が増加しないことが分かった。
引用元:ネガティブ感情体験の構造化開示が心身機能に及ぼす影響-メタ認知の観点からのメカニズム検討-

PTSDに関する検証ですが、自由記述よりも用意された質問に答える方が、ネガティブにならなかったそうです。
あらかじめ、自分に対する「嫌な時に見る質問票」でも用意し、気持ちを整理する準備をしておく……。
個人レベルで実践するとなると、そんなところでしょうか。

考えても仕方がないこと

多くの不安は、考えても仕方がないもの。
なぜなら、容易に解決策を思いつくのであれば、そこで考える必要はなくなるので、考え続けている時点で答えが出ない可能性大。
そんな答えが出ないものに時間を費やしても、仕方がありません。

もしも、答えが出ない理由が判断材料の不足であれば、いったん考えるのをやめて、必要な情報を収集することで、答えに近づくこともあるでしょう。
ですが、調べたところで解決に近づかないのなら、考える意味すらない……。

その典型は、「あの人に嫌われたら、どうしよう」です。
人を好むも嫌うも、その人の自由。
考えたところで、相手の感情は動かせません。

「でも、嫌われないような行動を考えれば……」

そう思うことでしょう。
残念ながら、一般的に好かれるような行為をしたからといって、好意を抱かれるとは限りません。
喜ばれそうなプレゼントを贈っても、迷惑がられるケースがあるように、うまくいくとは限らないもの。

ベストは尽くせるでしょうが、できるのはそこまで。
「人事を尽くして天命を待つ」ではないですが、自分ができる範囲のことをしているのなら、後は思考停止でいいのです。

そうしないと、考えても仕方がないことに、時間を浪費するばかり……。

可能性の計算

人生には、いろんな不安がつきものです。

「遅刻したら、どうしよう」
「明日、仕事で失敗したら、どうしよう」
「来年の予定が狂ったら、どうしよう」

こういった不安に対し、数値的なアプローチもできます。
不安の内容をメモし、実際に不安が的中したのかを計算するのです。

「明日の不安」であれば、検証期間は翌日中。
「今年の不安」であれば、検証期間は年内。
そうやって期間中の的中率を計算することで、自分の不安が“危機意識”として適切なものか判断できるでしょう。

適切なものであれば、自分の不安を未来予測として捉えられます。
それは、懸念事項に十二分に備えられるということ。
これは長所です。

不適切なものであれば、「どうせ不安は的中しない」となり、数値という根拠を持って「気にしなくていい」と結論付けることが可能です。
もはや、ただの妄想と言っていいでしょう。

将来を考えては、いけない理由

最後に、かなり個人的な見解を書いて終わりにします。

よく将来の自分を想像し、十年後にしている仕事などを考えますが、やめた方がいいでしょう。

この十数年だけ見ても、スマートフォンの普及、ネット環境の変化、新たなビジネスの台頭と、前世紀には想像している人が少なかった出来事が起こっています。
先見の明がある人なら別ですが、そうじゃない人にとっての未来シミュレーションは、時間の無駄。
多くの場合、状況に応じて必要なスキルや知識を身に着け、やっていくしかない気がするのです。その時々のベターな選択肢を選び続ける感じでしょうか。

中には、ずっと同じ仕事を繰り返す人もいるでしょう。
そういう人こそ、「十年後にしている仕事」を想像すべきでないかもしれません。
年老いても同じ作業をし続けている自分をイメージすると、成長がないように思えませんか?
それでいい人なら別ですが、そうじゃないなら苦痛なはず。

結果として変わらぬ作業をする自分がいるのなら、「気づけば長くやっている」で済みますが、いきなり十年後も変わっていない自分を想像すると、厳しい……。そんな話です。

一日の疲れは、「今日も疲れたな」で済みます。
しかし、それを十年やるんだと思うと、十年分の疲れが一気に来るイメージでしょうか。
不安に苛まれるタイプの人は、そういう想像でダメージを受ける気がするので、「将来を考えては、いけない」と書いています。

ちょっと極端な意見だとは思いますが、いたずらに意識を「未来」に向けず、「今」を生きてほしい。
言いたいのは、それだけです。

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