「生きていれば、また何かに感動することもある」という話です。
人間は、意味づけマニア
意味を考えたところで、そのものが持つ本質は何ら変化しないのに、やたらと解釈を気にしてしまう……。
同じものを様々な角度から眺め、「ああだ」「こうだ」と評論し、時には詩的な表現をする。
その結果、名言や格言と呼ばれる言葉が残り、それを受けて別の表現が生まれていく……。
考えること自体は大切かもしれませんが、それが目的になってはいけないし、納得がいく答えが無いと先に進めないのは、ちょっと違うでしょう。
わからないことは、やってみて初めてわかるもの。
見たことがないものを何百回と想像するより、実際に目にする方が理解は早い。
その理屈で言うなら、生きてみた結果でしか、意味は知り得ない。
それぞれの「生きる意味」は、人生のラストで知るものであって、その途中で気づけるものじゃない。
「生きた意味」は、最終的な自己評価。
死ぬまで、何が起こるのか わからないのだから……。
ただ、もしも「生きるメリット」を知りたいというニュアンスで、「生きる意味」を探しているのなら、「生きていれば、また何かに感動することもある」という回答になります。
あくまで、私個人の答えとしては。
生きるメリット
何を幸福と思うのか、それは人それぞれ。
であれば、他人が説く「生きるメリット」に頷けるか否かは、その人との相性で決まりそうなもの。
誰かの「幸せとは、こういうもの」は、個人の感想に過ぎません。
子孫を残すことが幸せという人もいれば、社会的な名誉が幸せという人もいるでしょう。
逆に、そういったことに幸福を感じない人もいる。
極端な例を出せば、親を亡くして悲しむ人の横で、介護の心配が消えたと喜ぶ人が居る……。
何をリスクと思い、何を幸運に思うのかは、状況や個人差が大きいでしょう。
であれば、万人受けする回答は極めて困難。
なので、私は「生きていれば、また何かに感動することもある」くらいしか言えないのです。
「きっと、いいことがある」という慰めはよく聞きますが、その根拠となるものは ありません。
明日、どうなるかは、誰にもわからないもの。
だから、「かもしれない」というニュアンスを込めて、先の言葉を私の答えとしました。
何に幸せを感じ、メリットを見出すのかは人それぞれですが、その際には「感動」という感情が伴うもの。
それゆえの「感動することもある」なのです。
まぁ、あれこれ考えて浮かんだ言葉ではなく、ある日 ふっと思いついた言葉ですが……。
うつ状態になると、考えすぎ傾向に
個人的な経験から言えば、「生きる意味」のような言葉で検索するのは、現状に迷いや不安があるとき……。
精神的に落ち込み、考える時間だけがあると、ネガティブなワードで検索しがち。
似たような体験は、下記のページで書いています。
うつ状態になったときの体験談です。
あの頃は、自らの不安を煽るような文章を追い求め、気持ちを悪化させていく日々でした。
面倒事を気にすると「生きていても、いいことなんか……」と暗くなりますが、未確定の将来の問題ばかり考えても仕方ありません。
自分じゃどうしようもないことを悩んでも、解決できない事実が変わらないのと同じ。
考えても解決しないことは、思考しても終わりが無い。ある意味、時間の無駄。
最善を尽くしても、良い結果にならないことはある……。
そう割り切って、他のよりよくできそうなものに目を向けていくのです。
何もする気になれないなら、それでもいいでしょう。
何かしても一生、何もしなくても一生。
どの一生に満足するかは、人によるので……。